gooのランキングと友人のI君

gooのランキングで「恥ずかしいからやめてほしいと思う彼氏の行動ランキングLink 」で一位が「食べ方が汚い」だそうだ。

別に彼氏彼女などの関係ではなく、友人であったとしてもやはり友人のI君の「食べ方が汚い」ってのはどうにかしてほしい。

彼がカレーを食べた時の顔はまさに漫画『ドラゴンヘッド』の最初のほうに出てくる顔にペイントしているキャラクタである「ノブオ」そっくりで本当に口から耳にかけてのほっぺた前面にカレーを塗りたくっている。これは比喩でもなんでもなく、本当にほっぺた全面にカレーがついているのだが、なぜスプーンを使って食べてはいるのにそんなところにまでルーをつけることができるのかむしろ不思議なぐらいである。もしかしたらボクが目を放した隙にルーで洗顔しているのではないかと思わせるほどだ。

また、口に運ぶ様子だけでなく盛り付けにも彼は独特の感性を発揮し、とりあえずカレーの上に彼の好きな食べ物、例えばおでんとかソーセージとか基本肉系を盛り付けた上にとどめのマヨネーズをふんだんにそして入念にあしらえる。

これを納豆を食べるが如くすべてをかき混ぜてほおばるわけだが、この食べ方を彼は自宅だけでなく外食した時にもさも当然のように行うため、我々の席に注がれるほかの客の視線は限りなく熱い。

彼に彼女が出来ない理由について、彼は自分が太っているからと思っている節があるのだが、そんなことよりももっと本質に関わるこのような問題を解決した方がいいのではないか、そう思わざるをえない。

— posted by ボク at 05:07 am  

やはり骨折

どうも去年から左足首が痛いなーと思っていたが、日本古来からのほっとけば治る理論を忠実に守るボクはずっと放置していたのだが、最近あからさまに左の足首が右の足首の1.5倍ぐらいの太さにいたるに、これはほっとくとさすがにまずいんではないかと思い、近所の整形外科に行ってレントゲンとかしてもらうとやっぱり折れていた。

というか、折れてはいたんだが、もうすでに骨自体は勝手に引っ付いておりギブスとかは必要ないみたいなんだが、そんな状況で歩いていたせいか、さらに足をひねったせいで関節炎になり、水がたまっているとのことで、それを抜いてもらうと結構な量が出た。関節にたまる水ってなんか少し黄色がかった透明なんやね。

というわけで、2週間は正座も胡坐も運動も禁止とのことです。

— posted by ボク at 11:31 am  

友人の結婚話

友人のバガミミ氏の結婚話が着々と進んでいる。皮肉でも何でもなく、非常に喜ばしい。

ボクはすでに結婚しているので、結婚する前と結婚した後の両方の生活を知っているからこそ言えるのだが、結婚は明らかにプラスがマイナスを上回る。

例えば金銭的なことだけを考えても税制は明らかに未婚より既婚に有利に出来ているし、規模の経済が働くため、一人より多数で暮らす方が一人当たりの生活費は下がる。

また心理的側面からしても、結婚していると単純計算で親戚が倍になるため、自分に対する抑制が効くようになる。これは非常によいことである。

さらに、ボクの経験上、結婚するまでは人生のかなり多くの比重を女性にモテるための行為に当ててしまうが、結婚するとまるで人が変わったようにそういう気がなくなる。

これは良い恰好をしているとかいうことではなく、本当にこれまではなんだったのだというぐらいモテたいという気がなくなるのだ。

確かにモテたいという本能は重要であるが、人間にはそれ以外にも力を入れるべきことがある。

例えば、自分の余力(あくまで余力でありまずは自分)を使って身近な人を助けることが出来たら、自分の死期が近づいた時に自分の人生を振り返った時、自分のためだけに生きた時よりも多くの達成感を得られるのではないかと思うのだ。

なぜなら死によって自意識が消えるとき、唯一無二の自己は他者と同列になる。死なないはず(理屈では自分は死ぬと知っていても他人とは違う自分自身の死へのリアリティは実際に死にかけ状態にならないとわからない)の外ならぬ自分が他者同じように死ぬというリアリティを感じ他者とと同列・同価値となった時、他者を一人助けることは自分を二人分助けることと同じなのだ。

この感覚をわかってもらうためにボクの友人達には早めに結婚してほしい。

— posted by ボク at 11:27 pm  

あけましておめでとうございます

2010nenga

— posted by ボク at 06:42 pm  

 

「いい大人なんだから」という理由の放置

同年代の友人達に対し、非常に介入的なボクであるが、こんなボクに対して「〇〇もいい大人なんだからそこまで言わずにほおって(ほおってとは徳島弁であり、何もしないで、というぐらいの意味)おけよ」ということをいう人もいる。

しかし、そもそも「いい大人」というのは年齢が20歳以上になれば自動的になるものではない。なぜなら20歳を超えた人というのは単なる「大人」のことであり、「大人」の前に「いい」がつく以上、20歳以上且つ何らかのプラスアルファがあるからこそ「いい大人」なのである。

ではこの「いい」とは何のことだと考えると、ボクがぱっと思いつくのは「自分の行為に対して責任が取れる」「理性的な言動を行える」等である。

この「自分の行為に対して責任が取れる」というのは本人の意思とは関係無しに自動的にその人に降りかかってくる法的な意味での責任を取らされるということとは違い、自分の言動で自分の失敗に対するリカバリーが可能なことを指す。

逆に言えばこれが出来ない人は「いい大人」ではない。

また、この「いい大人」というのは一度「いい大人」になったら、不可逆的に「いい大人」であるはずもなく、その人の体調や境遇の変化・精神状態によって「いい大人」から上記の意味での「大人」になったり、逆に単なる「大人」だった人が人間的成長によって「いい大人」になったりするものだとボクは思っている。

これは当たり前のことで、思考の源泉である脳が物理的物質である以上、永劫普遍であることはありえないからであり、常に意識状態は流動的だからである。

このことからして、ボク自身も自分は今のところ「いい大人」だと思っている(異論は認める)が、いつ環境の変化により単なる「大人」に変化するかもしれない。

そういうときにはボクは今は単なる「大人」であるが、将来的に「いい大人」になっているかもしれない友人達に助けてもらう事だってあるかもしれないことを考えると、結局困った時はお互い様ということになるんじゃないかと思っている。

このブログで何度も書いてきたことだが、目前に困っている友人がいて、自分の能力でそれを助けることが可能だと思われるのに助けないようなやつはそもそも友人と思っていること自体が勘違いだったのである。

単なる遊び仲間と友人はボクの中でははっきり区別されている。

— posted by ボク at 10:23 am  

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