死後の世界を前提にしなくとも全部が無になるわけではない

先日、とある方と健康について話すことがあったのだが、その方は魂は不滅で生きている行為によって死後に何に生まれ変わるかが決まるとし、よいことをしていたら良いものに生まれ変わり、悪いことをしていたら悪いもの(例えばゴキブリらしい)に生まれ変わるので、生きているうちによいことをしなければゴキブリに生まれ変わる恐れがあるという考え方を持っており、そのような考え方であるのに健康に気を使っているので、ボク「ボクは死後に認識能力を保持したままの魂なる存在があるとは到底思えないので健康に気を使っているが、魂があると思っている人は別に死んでも次があるんだから(例えばガンになったらなったで治療などせず放置しておけば良い)健康に気をつけたりするのは矛盾があるのではないか」といったところ、その方はボクがどれだけ今流行のスピリチュアルについて批判的な意見を持っているかを知らなかったようでびっくりしていた。ちなみになぜ上記のような考え方の人が治療することに矛盾があるかといえば、奇麗事無しに考えると、医療は保険だけで考えても当然自己負担以外の他者の負担(税金や保険料)などによって支えられているものであり、また家族の負担なども存在するからであり、治療において他者に負担をかけるという側面が実際に存在する以上、死後の世界があるならば何もしない方が結局その人にとっても良いことだし(なぜなら良いことをすると死後に良い物に生まれ変われるから)、他者にとっても良いことだからだ。ボクの場合は自分の認識能力は生きている間のみという期間限定のものだと思っているから、多少他人に迷惑がかかろうが生きていないことには話にならないから絶対治療する。ボクのような考えだと道徳が崩壊すると考えている人もいるようだが、むしろ死後の世界を信じている人の方が命の価値が軽いんじゃないかと思われてならない(理由は繰り返しになるが、もし死後の世界があるなら別に死ぬことはたいした問題ではないので自分だけでなく他者が死んでもそれほど問題はないからだ)。それにボクが別に死んだらすべてが無に帰すというわけではなくて、死んだらボクの認識能力は失われてしまうが(まあこれは本人にとっては重大極まりないことだが)質量保存の法則がある以上、認識能力がなくなった後のボクの身体、つまり遺体が原子単位で消滅するなんてことは当然なく(この点において無になっているわけではない)、燃やされてほとんどが水と二酸化炭素になって地球上に拡散し、またどっかの生命に取り込まれてそこで利用されていくという循環の流れに乗る可能性がかなり高い。つまり魂なんぞ仮定しなくても実際上は生まれ変わっているわけだが、ボクの認識能力は失われているので、たとえ元ボクの水分がゴキブリの細胞に取り込まれようがボクはそれはわからないのでなんら問題はない。また、人間単位だけで考えても、自分が他人に行った良い行為は、その他人に対する影響として残っているのでその他者が子孫を残してくれるなら、未来に渡って長く消えないわけで、決して死んだら何もかもが無になるわけではない。例えばおぼれている子どもを助けたら、助けなかったら消えていたであろう命が続いていきその子が成長し親になったとしたら未来に渡って自分の良い影響が続いているといえるのだ。だから、別にゴキブリに生まれ変わると怖いからなどという恐怖でしばらなくても、人間は論理で考えて善なる行為に意味を持たせることは出来る。そんなことを思いましたわけで。


— posted by ボク at 12:57 pm   commentComment [2] 

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