『原始仏教とアビダルマ仏教』

『原始仏教とアビダルマ仏教』を読んでこれまでの疑問が氷解した。ボクは原始仏教の考え方の中で、諸行無常と縁起説はなんとなくわからないでもないのだが、「無我」とか「空」について受け入れがたいものがあった。空ったって自分の生身があるではないかと。自分自身が、現に存在していると自分は思っているではないかということである。なにせ肉体が現に存在していることは間違いなく(哲学的に肉体は存在しない、という考え方もあるだろうが、それは原始仏教的にはそのような自分の認識できる範囲を超える形而上学的考えは無記といってそもそもそんなん考えてもしゃあないからいいまへん、ということになる)、この事実からして、空とは風船のように外側はあるが中身がないという意味かなとか(これでも結局空気を囲む風船自体は物質として存在する)、もしくは空という考え方自体に無理があるのかなとも思っていた。つまりボクは空とは文字通り「から」でありスカスカのもの、というイメージを持っていたのである。実際にそう解釈する本も存在する。この考え方すると、実際に脂肪とか肉とか血とかに満ち満ちているボクの体はどう考えても空ではない。このボクの長年の疑問を

無我は、「諸行無常」(sabbe samkara anicca 一切行無常)と関連して理解されねばならない(『原始仏教とアビダルマ仏教』p241引用))

が打ち破った。この考えによれば確かにボクという存在は存在するのだが、そのボクという存在は常に変化し続けているため、実体としてのボクなるものは存在しない、つまり

我とは常住なもの(同上p247)

ではないという点で、空であり無我である。うーん、確かにそのとおりだ。

— posted by ボク at 03:43 pm  

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