死んだらどうなるかについて

死んだらどうなるか。これは未だ生きている人で死んだことがある人がいないので実際のところはわからない。ただ、ボクはどう考えても亡くなった後も生きている時と同じような意識(認識能力)があるという霊の存在説には納得できない。そもそも、意識があるとして、赤ちゃんの時に死んだら霊の認識能力はどういうことになるのよ?とか、認知症になってから死んだ場合は霊も認知症なのかとか、ものすごい疑問だからである。それとか脳にダメージがあると性格が変わることなどがあるが、その場合もどうなるのという疑問もあり。一説にはその人が一番良かったときの意識になるのだということも言われるが、その場合、一番良かった時期が死期より前だったらそれまでの記憶とかなくなるの?とかやぱーり解決にはなっていないと思われる。それに一番良かった時の意識になるなんて都合よすぎだろ。で、21世紀壮年のボクとしてはやっぱり認識は脳の作用などにより発生しているものであり、脳が動かなくなったら認識能力もなくなるので、現状では死んだら認識もなくなると考えるのが妥当だろうと思っている。だから意識を持った霊の存在などはないと。しかし、霊があると信じ込んでいることにも効用は限定的ながら存在する。そのひとつとしてもうどうやっても助からない死にかけの人も、死んでも意識が残っていることを信じていると自分が消滅することへの喪失感を少しは低減することができるからである。死んだら無になると考えている人の場合、こうはいかない。なにせ無になるんだから完璧な消失である。不安も多いでしょ。しかし、実際に死とは無になることなのだろうか。確かに死ぬと脳に血流が流れなくなるので意識は消失し、認識能力もなくなる(とボクは思っているし、少なくとも認識能力は死んでも残るということを科学的に証明できる人は現状いない)。この意識(認識能力)をもってのみ自己と考えるなら確かに無になるといえなくもない。だが、実際には死によって認識能力が消失しても遺体は残る。たとえるならパソコンのハードディスクがぶっ壊れてデータが消えたとしてもパソコン自体が消え去るわけではない。んでからボクが高校で習った化学によると人間もパソコンも分子の集まりで出来ているはずである。んでからパソコンも遺体も燃やすと酸素と結合して水になったりほかいろいろな分子に変わったりするが、質量保存の法則により形が変わったとしても質量は同じである(相対性理論はまあここでは触れない)。こう考えますと、たとえ自分が死んで燃やされちゃっても自分の形が変わるだけでこの宇宙に自分が存在することには変わりはないといえるんじゃあないでしょうか。逆に言えば身内が死んで燃やして煙として大半はどっかに飛んでいったとしても、飛んで行っただけで消滅したわけではない。それが雨になって降り注ぎ、いろんな場所を循環してまた何かの生物が生まれる時にその体の一部として役立ったり、それこそ人間の中に取り込まれて新生児の一部になっているかもしれない。この考え方からすればそもそも現在の自分を構成している肉とか骨も実は昔の人の分子が使われている可能性はもちろんあるわけで。もちろん生物になるだけじゃなくて違う形状のものになっているかもしれない。壁かもしれないしアスファルトかもしれないし、自動車かもしれないし、船かもしれない。もしくは土かも。こう考えると、それほど消滅の喪失感に悩むことはないんじゃないかとボクは思うんですがどうでしょうか。ある意味において輪廻っつうか自然の循環ですが。またビッグバン説で、膨張していっていつかまた宇宙は収縮しだすという説があるじゃないですか。この説のとおりだとすると、元々我々の宇宙にあるものは元々はすべてひとつというか一緒のもので、それがいつかまた収縮によりひとつに戻るということになる。そう考えると死別してもそれこそ言い方を帰ればまたいつかお会いするというか一緒になるということになるんじゃあないでしょうか。皆さんどう思います?

— posted by ボク at 02:30 pm  

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