[ カテゴリー » 雑感 ]

全員が労働による自己実現なんて出来るわけない

これまでほとんど付き合ったことがない人達の傾向を聞き取り調査したことがあるのだが、そこには一定の傾向が見られた。

それはまず第一には実社会でほとんど異性との交流がないこと、第二に口では「外見はあまり気にしない」というのだが、実際には自分が相手に求める容姿のレベルが半端なく高いことだ。

この第二の理由は第一の理由に強く影響を受けた結果であると思われる。

これは、実社会で異性との交流がほとんどない場合に一番多く異性の容姿を見るのはテレビなどのマスメディアになるのだが、当たり前のことだが、マスメディア上に出ている人々というのは大抵容姿的に全国から選び抜かれた人々であり、端的に言えば日本の容姿ランキングトップ100みたいな人達となり、このトップ100を容姿の基準にしてしまっているため、当然ながら市井の普通の人々など問題外となってしまうのである。

ただ、そのようにほとんど付き合ったことがない人達であってもその人本人の容姿が極端に優れているのならば自分自身がマスメディア上で活躍する容姿の優れた人々の社会に参入できる可能性がかなり上がるのだが、ここでポイントなのは、当然ながらほとんどの人は容姿も普通であることから参入可能性も著しく低いということである。

このようになんらかの自分にとって未体験であることについてマスメディアで行われている世界を自分の判断の基準にしてしまうことと、ほとんどの人々は文字通り極端な才能などないという厳然たる事実がニート・引きこもり問題の原因の一つにも当たるように思うのだ。

わかりやすくテレビを中心として考えると、子供の頃、特に男性なら世界を救う変身ヒーローに将来なりたいと思った人が結構いると思う(といいながらボクは思わなかったのだが)。しかし、この夢=自己実現はちょっと年齢が上がればそもそも自分には変身する能力・才能はないし、周りに変身できる人もいないという当たり前の事実に気づき、これは無理であると気づける。

次に、ことこれが仕事に関することの場合、マスメディアに出ている人は職業に関連したドラマで希望の仕事で自己実現を図り、又希望の仕事ではなくともやっぱりどうにかして自己実現をはかったりする人のオンパレードで、ドキュメンタリー番組で仕事について取り上げられる人は労働問題みたいなのを扱っている場合以外はほとんど仕事が大好きで仕方ありませんみたいなひとばかりであるが、こうなってしまうのも当たり前といえば当たり前で、仕事が始まったとたんに基本早く家に帰れないかなーと思っているような人にはドラマ性がないので、そういう番組は作られないからである。

しかし実はこういうとっとと仕事が終わって帰宅したい人の方が圧倒的に多いという当たり前の事実は現実に働き出して周りを見回したらわかるのだが、学生などで実際にきちんと働いたことのない人にとってはテレビの中で存在している仕事で自己実現はかりまくりの人が自分にとっては大多数であり、しかも内容が変身して地球を救うという非現実的なこととは違ってほとんどの人が実際に労働している以上、非現実と容易にはいいきれないところがあり結果、「仕事で自己実現できないなんて都市伝説」とばかりに自己実現できる仕事を探そうとする。

もちろん、仕事によって自己実現できる人はいるし、人生においてかなりの時間を費やすであろう仕事で自己実現が出来たら、それはそれで素晴らしいことだが、労働というのは基本的に自分の行為を誰かに買ってもらって対価をもらうことであることからして対価を支払う相手が厳然と存在するものであり、自分だけで完結できることではない以上、どれだけ自己実現する行為を行っても、それに対価を払ってもらえないとそれは労働ではないのである。

そしてそれに追い討ちをかけるのは、ほとんどの人は極端な才能などないので、自己実現=自分のしたいこととそれにお金を払ってくれることが一致することはあまりないのである。

例えば野球をするのがものすごく好きで自己実現のためにそれを職業にしようと思ってもプロ野球選手になる才能がなければそれは不可能であり、現実的にそのような才能がある人はほんの一握りだ。

そう、皆がやってみたいなと思うような仕事(=自己実現できそうな仕事)は才能というかなりの参入障壁が用意されているのだ。

ではその極端な才能などない普通の人に対してなぜ対価を払う人がいるかといえば、それは極端な例外を除けば基本的に「自分ではしたくないこと・自分ではやる時間がないこと」を代わりにやってもらいたいためであり、元々がそのようなことをしてもらうために求人しているのだから、自己実現なんて出来なくて当たり前なのである。

こういうことを考えると、よく就職を考えている人に対して「君は何がしたいんだ」というようなことを言う人がいるが、これはようはしたくないことはするなということの裏返しであるため、少なくとも雇用側がやりたくないかする時間がないようなことをするという就職について、こんなことを言ったら元々リアルな労働というものを知っている人はやる気がなくなるだろうし、仕事で自己実現ができると信じている人にとってはこの仕事では自己実現ができないと考え就職後すぐの離職率を高めるだけである。

しかし、仕事をやめて他の自己実現できそうな仕事を探したところでそれを探し当てるのは容易ではない。なぜなら、元々特殊な才能を要さずに出来る仕事というのは基本しんどい仕事だからである。

だから就職を考えている人に対して我々はむしろ「君はどういうことができるのか」又は「君の我慢の限界と言うのはどこか」と言う方を重視して聞いた方がその人のためになると思う。

なお、間違ってほしくないのは、ボクは仕事で自己実現を図ることが不可能であるといっているわけではない。別にやりがいを求めて入った職場ではないが、仕事を続ける中でやりがいを見つけることもないわけではない。ただ、それはあくまで仕事をある程度続けていく中で発見できることであり、元々仕事に自己実現を求めすぎている人のようにハードルを事前にあげすぎてしまうと、やりがいが見つかる前に辞めてしまうか、他者からみれば十分やりがいがあるだろうにということにも気づかない可能性がある。

仕事は自己実現のために行うものだという考えを捨てないと日本のニート引きこもり問題は解決しない。労働は金のためだけに行うとハードルを下げておく方が結果的に満足感につながるんじゃないだろうか。

では例えば親に金があって、もしくは大して親が金持っているわけではないがどうにか働かなくても生きていけると言う場合にそれでも働いた方がよいと言う理由はなんだろうか。

そんなのは簡単な事で、働かないという選択に対する日本社会の外圧は半端ないので、それをかわすだけでも人生はかなり楽になるのだから、それを満たすためだけでも働く理由には必要十分である。

人間誰もが積極的であるはずがないし、外圧をかわすという消極的な理由だろうが、それで自分に対する多大な不快感を取り除くことが出来るならそれはそれで自分個人にとっても社会全体にとってもいいことだと思うのだ。

いやほんと。

— posted by ボク at 10:16 am  

「いい大人なんだから」という理由の放置

同年代の友人達に対し、非常に介入的なボクであるが、こんなボクに対して「〇〇もいい大人なんだからそこまで言わずにほおって(ほおってとは徳島弁であり、何もしないで、というぐらいの意味)おけよ」ということをいう人もいる。

しかし、そもそも「いい大人」というのは年齢が20歳以上になれば自動的になるものではない。なぜなら20歳を超えた人というのは単なる「大人」のことであり、「大人」の前に「いい」がつく以上、20歳以上且つ何らかのプラスアルファがあるからこそ「いい大人」なのである。

ではこの「いい」とは何のことだと考えると、ボクがぱっと思いつくのは「自分の行為に対して責任が取れる」「理性的な言動を行える」等である。

この「自分の行為に対して責任が取れる」というのは本人の意思とは関係無しに自動的にその人に降りかかってくる法的な意味での責任を取らされるということとは違い、自分の言動で自分の失敗に対するリカバリーが可能なことを指す。

逆に言えばこれが出来ない人は「いい大人」ではない。

また、この「いい大人」というのは一度「いい大人」になったら、不可逆的に「いい大人」であるはずもなく、その人の体調や境遇の変化・精神状態によって「いい大人」から上記の意味での「大人」になったり、逆に単なる「大人」だった人が人間的成長によって「いい大人」になったりするものだとボクは思っている。

これは当たり前のことで、思考の源泉である脳が物理的物質である以上、永劫普遍であることはありえないからであり、常に意識状態は流動的だからである。

このことからして、ボク自身も自分は今のところ「いい大人」だと思っている(異論は認める)が、いつ環境の変化により単なる「大人」に変化するかもしれない。

そういうときにはボクは今は単なる「大人」であるが、将来的に「いい大人」になっているかもしれない友人達に助けてもらう事だってあるかもしれないことを考えると、結局困った時はお互い様ということになるんじゃないかと思っている。

このブログで何度も書いてきたことだが、目前に困っている友人がいて、自分の能力でそれを助けることが可能だと思われるのに助けないようなやつはそもそも友人と思っていること自体が勘違いだったのである。

単なる遊び仲間と友人はボクの中でははっきり区別されている。

— posted by ボク at 10:23 am  

自分にとってベストな体勢

事務所ではイスに座っているので関係ないのだが、畳等に座って本を読んだりパソコンをしたりするのベストな体勢を以前から模索している。

ボクは腰痛持ちなので胡坐では腰に負担がかかるためあまり安定できない。そこで、むしろ座るから駄目なんではないかということで、うつぶせや仰向けで本を読んだりしたのだが余計にしんどい。こうなると人間むきになるもので、自分の考え付くありとあらゆる体勢をとってみた。

しまいには、仰向けになった状態で足だけ胡坐を組み胴体は半身にひねるというどう考えても不自然な体勢まで試してみたが当然ながらただのヨーガになってしまった。

結局今のところは正座が一番安定するし腰にも負担がかからないというような中間結果となっている。

— posted by ボク at 09:42 am  

犬に学ぶ

妻宅の2匹の犬は、毎日散歩に行っているのに、毎度毎度散歩に対して大喜びである。

この姿を見るとすぐに日常生活の喜びに慣れてしまう人間はほんと駄目だなーと思う。

つまりあれだ、生きてるだけですばらっしいってことですね。

— posted by ボク at 09:30 pm  

現代に残された数少ない真理

早起きは三文の得はガチ。

— posted by ボク at 11:54 pm  

T: Y: ALL: Online:
ThemeSwitch
  • Basic
Created in 0.0219 sec.
prev
2017.10
next
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31        
 








リンク集
日帰りアウトドア
もっと徳島を知ろう
食欲を抑えるダイエット
FP3級の用語と計算方法
宅建試験過去問の合格暗記
日商簿記試験の合格暗記
末広茶道教室
金剛禅総本山少林寺徳島渭東道院