服装とかそういうことへの欲求の低下

元々服装などにほとんど興味がないのだが、ファッションとは孔雀の雄の羽がきれいな理由と同じと考えているボクとしては結婚後さらに服装へのモチベーションは低下していた。で、このモチベーション低下はとどまることを知らず、結婚3年を過ぎた今となっては他人に不快感を与えず且つ自分の体感温度変化を防げるなら何でもいいんじゃないかとまで思い出し、さらにそこにコストパフォーマンス要素が加わった結果、基本的に無地の布でできた服が一番いいんじゃないかとの考えにいたった。よく、他人の目線なんて気にしないから服装なんて何でもいいとばかりに本当にぼろぼろの服を着たりしている人がいるが(しかもこういう人は往々にして自意識過剰過ぎて逆転して考えちゃった感がある)、ああいうのはその服だけでなく、服を着ている本人自体も他人から不快感を持って接せられるので自分自身にとって損である。別に無理に人に好かれることはないが、嫌悪感をもたれるのはさまざまな点においてマイナスが発生するのでこれはダメだ。ボクは臭いのするものが大嫌いなので、一回きたらすぐに服を洗う。このため、柄が入っている服だとすぐにぼろぼろになってしまう。この点無地ならば柄が洗濯によって落ちたりしない分、ぼろぼろ感が目立ちにくく他人に対して不快感を与え始めるのが柄物よりも遅くお得であるし、元々無地の服ってすごく安い。というわけで、昨日早速真っ白なTシャツを購入し、このブログを書いているわけです。

— posted by ボク at 08:16 am  

答えになっていない返信

趣味の分野で某無料サービスを利用しようと思ったのだが、ボクがやろうとしていることが利用規約に違反するのかどうかわかりかねるため、メールを送ってボクがこれから行おうとしている行為は違反するのかどうかということを問い合わせてみた。で、それに対して返信されたメールは「利用規約をよく読んで利用してください」的なことしか書かれていない。えー!利用規約の解釈がわからないから具体的に内容を書いて送ったのであって、これでは返事になっていない。まあ、ダメだと書かれていないし、これからもよろしく的なことが書かれていることからして、ボクの行為は問題ないと捉えていいのかもしれないのだが・・・ほんとに日本の会社が運営しているのかものすごい疑問。

— posted by ボク at 12:13 pm  

椅子と腰痛と正座

一ヶ月ほど前から腰痛が続いている。原因ははっきりしているのだがLink 、この腰痛に関連して一つ面白いことに気づいた。それは椅子に座って机に向い仕事をするとだんだん腰に違和感が出てくるのだが、正座で座っている時はそれがないことである。これは椅子だと身体が前傾姿勢になってしまうが、正座だと背筋がまっすぐになるので、変な負担がないからだろう。思えばボクは子供の頃、ほぼ正座であった。もちろん学校の授業を受けるのに正座していたら完全に罰ゲームにしか見えないので普通に椅子に座っていたが、それ以外は食事の時も本を読む時もゲームをする時も正座だった。そんなぐらいだからボクはものすごく長い時間正座をしても別に平気だったのだが、今の事務所を借りたぐらいからだんだん正座をしなくなってきた。理由は簡単、事務所がフローリングだからだ。接骨院で言われた事には、ボクは背が高いので特に腰に負担がかかりやすいとのことである(これは端的にいえば座高が高いといっていると思われる)。これ以上、腰を痛めたくないし、幸いにして低反発座布団も今は事務所にあるので仕事も正座でやってみようと思う。最近は和風ブームなので案外、「ああ、和風ブームに乗ってるのね」的な勘違いで異端視されずにすむかもしれん。

— posted by ボク at 07:00 am  

M田さんと携帯

東京に住んでいてお盆で帰省しているM田さんがまた携帯をなくした。また、というのは去年のお盆もM田さんは携帯をなくしボクはそれを探しに行ってあげたことがあったからだ。結局それは見つからず昔使っていた古い携帯を復活させることによってその場をしのいだ。で、去年は携帯のほかにもデジカメを置き忘れ、財布もほとんどつながりのない知人宅に忘れてくるという状態であったが、今年は携帯のほかには友達の車を半ドアにしていたらバッテリーが上がって車が動かなくなったというおちがついたらしい。彼は本気でお払いを考えている。

— posted by ボク at 10:09 pm  

まことに不可思議なお盆という行事

阿波踊り真っ盛りの徳島であるが、この阿波踊りは徳島以外では所謂盆踊りである。で、お盆だ。お盆という行事、これは日本の某大乗仏教系(もちろん葬儀をするタイプの)の坊さんによると、普段は墓にいる魂が家に帰ってくるのでそれを迎える行事であるとのことだが、もうここからして矛盾というか意味不明なことばかりである。なお、お盆とか魂についてはいろいろな解釈を持っている人がいるので、ここに書いたことだけがお盆のすべてではないが、少なくともボクはお盆についてこういう風に説明を受けたのでボクが受けた説明についての矛盾点を書く。まず、普段は墓に魂がいるのなら、仏壇は盆以外は何もない状態、つまり魂不在である。ということは普段なぜ空っぽの仏壇に手を合わせる必要があるのか。もし魂が盆以外は墓にいるなら、盆以外は仏壇を拝むのは完璧に意味がない行為であり、そんな暇があるならお墓にいって手を合わせるべきだ。お盆以外は仏壇に手を合わせてもなんら意味がない。神道ならば、魂は分割可能みたいなので、お墓にもあるし神棚にもある、みたいなことも可能と思うのだが、「帰ってくる」ということは普段はそこには「不在」であることを意味するので、ここではこれは該当しない。次に、お盆には魂が家に帰ってくるのなら、なぜ墓参りして手を合わせるのか。まだ墓の掃除をするとかならわかる。魂不在のときでも掃除することに矛盾はない。ただ、お盆には魂が家に帰っているのなら、墓に手を合わせてもそこには不在なので、掃除をしたらとっとと実家に帰って魂がいるはずの仏壇に手を合わせるべきである。次に、これは上記に付け足し且つお盆時期以外にもあてはまることなのだが、葬式のときに聞いた話しでは、人間は49日の間に生まれ変わるとの事であった。ということは生まれ変わっているのなら、そもそも墓にも仏壇にも魂なんてないんじゃないかってことだ。ただ、魂が分割可能で一部生まれ変わって一部とどまるなんてことがあったら、矛盾はないのだが、仏教系で魂の分割が可能という話は聞いたことがない。さらに不可思議なのは仏壇などに般若心経を唱えることである。あれは直訳を読む限りでは、「全部空だから(当然のことながら魂とかないよ)何かが実として存在するのとかって全部勘違いだから」ってことを書いてあると思うのだが、なぜそれを魂とかを前提とした仏壇の前で唱えるのか。もし魂が存在すると仮定するなら、そんなことを言われたら魂としても困ってしまうんじゃないだろうか。せめて魂の前で唱えるお経ぐらいは魂存在を肯定するものにしてあげてほしい。まあ、般若心経は普通に直訳したらこういう風に書いているとしかボクには思えないんだけど、霊感がある人は違う意味を感じ取ってしまったりすることもあるみたいなので、なんともいえないところもありますが。こんなことを書いているボクは魂はものすごい高い確率、つまりほぼ100%に近い確率で存在しないじゃないかと思っているので墓参りについていくことはありますがお墓や仏壇に手を合わせません。この辺、みんなどう考えているんだろうか。

— posted by ボク at 10:56 pm  

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