新しいパソコン

パソコンがおニューになった。前のパソコンは途中、「燃えたり」「割れたり」したのだが、こりもせず同じメーカーのを買ってみました。だって安いんだもの。

— posted by ボク at 01:00 am  

文章の長さ

友人のI君に、ボクのブログは文章が長いとの指摘を受けた。確かに文章量からすると、世間一般の素人が書くブログ(つまり文章を書く専門家じゃない人のブログ)と比べるとボクの文章は長い方だと思う。しかし、文章が長いかどうかというのはその内容によるのであって、長くする必要がない内容を冗長に書くのは無意味だが、必要最低限のことを書いた結果長くなってしまったのならそれはそれで仕方がないと思う。もちろんボクは後者を目指しているのだが、多分I君などに言わせると(直接聞いたわけではないけれども)、結論についての説明の部分が長く感じられるのだろう。説明の部分が長くなってしまうのはボクの文章が稚拙であることによるのはもちろんであるが、意味を勘違いされることを防ぎたいがために冗長になってしまう部分もある。文字での表現は直接対話のようなニュアンスを伝えにくいため、どうしても勘違いされてしまうことが多々あり、これを防ぎたいのだ。ただ、そのような意図をもって説明文をボク本人は書いているつもりなのに、やっぱり伝わっていないこともあるのがもどかしくって仕方がない。自分の考えを他人に正確に伝える技術を磨くというのはボクの大きなテーマの一つである。


— posted by ボク at 04:18 pm   commentComment [1] 

食べたものを記録始めた友人のI君

友人のI君が岡田斗司夫さんのダイエット本に影響され、自分が食べたものを携帯に入力し、それを自分のメルアド宛に送って記録するという行為を行いだした。I君曰く、この本に書かれている内容などはかなりボクが友人のI君の為に作成したサイト、『食欲を抑えるダイエットLink 』に似ているという。実はボクもこの本を本屋でパラパラとめくってみたのだが、確かに同じようなことが書いてある。やはり実際に効果があるやり方というのは誰がやっても同じようなことになるという証左だろう。で、まさか亀井が本の内容をぱくったんちゃうんか、と思われるのも困るのであえて書いておくが、ボクは岡田さんがダイエットをしていること自体を本を読むまで知らなかったし、あのサイトはこの本の出版日前に公開しており(更新日付を見てね)、且つ、ボクが自分のダイエット法を書いた行政書士会の機関紙も岡田さんの本の出版日以前に出版されていたと記憶しているので、これがボクの方が先であるという証拠は多数ある(後は友達のミクシィのコメントにも書き込んだりしているので、これも証拠にはなるな)。もちろん、岡田さんがボクのサイトなどを知るわけもないので、岡田さんがボクのをぱくったとは全然考えてない。正しい方法は誰がやっても最終的には同じになっていくのだ。で、話は当初の話題に戻るが、この食べたものを記録していくという行為、これは出鼻をくじいてしまうことにもなりそうだが、多分I君には続かないだろう。実は食べたものを記録していくという方法は前にボクも考えたことがあり、実際健康管理もかねて自分のもう一つのブログに自分が食べたものの画像をひたすら携帯からアップするという行為を続けていたのだが、これって結構面倒くさいのだ。大抵1日は3食なので、毎日三回アップしなければならない。食事する時は他人と一緒の時も多いので、話などしているとすぐにアップするのを忘れてしまう。一回忘れるともういいやってことになり、全然アップしなくなったりしてしまう。そこで、ボクはこの食事内容を記録するのではなく、1日一回自分の体重を量るのでOKという方法にしたのだ。今でも時々は自分の食べたものをアップしているが、観てもらえばわかるように毎食は記録されていない。しかし体重は毎日自分のパソコンに記録している。ボクは自分が太っていたのでわかるのだが、肥満する人ってのは大抵面倒くさがりなのである。だからダイエットを成功するための方法論はぎりぎりまで面倒くさくない方法でないと結局続かない。しかもI君の場合、ボクが見たところ文字データで送信しているようだったのでこれは絶対に続くまいと思い、せめて携帯のカメラで撮った画像データをブログに送信することにすればとアドバイスしておいた。まあどんな方法であれ、痩せれば問題はないのだが、I君自身が書いてあることはよく似ているといいながら、それでもなおボクのサイトではなく岡田氏の本をよりどころにしてしまうところになんともいえない彼のボクに対する対抗心を考えざるをえない。なにせあのサイトはI君の為に作ったサイトなので、一番誰に対して当てはまるって、まさにI君であるにもかかわらず。

— posted by ボク at 09:47 am  

笑いはルールのあるゲームである

いわゆる格差社会の問題において、教育などを受ける機会レベルまでを平等にするべきか、それとも機会は平等であったが能力や運などの問題から広がる結果の差までもを平等にするべきなのかについてよく口上にのぼるところである。この問題においては結果の格差を無制限に認めてしまうと機会の平等が担保されにくくなってしまうという関連性が多少なりとも存在するところからして難しい問題ではあるのだが、ボクは基本的には結果の平等までではなく機会の平等を重視するべきだと考えている。なぜなら当たり前のことだが、結果の平等を求めると効率性を阻害し、全体としてのトータルな幸せ量を減らしてしまうからだ。この機会平等と結果平等の問題は、知り合いなどの行為を笑いに昇華させるときにも発生する。例えばこのブログの読者ならば当然ご存知のとおり、友人のI君をよくネタにする。これはブログのような文章レベルだけではなく会話レベルにおいても同じことである。いや、会話でネタにする方がはるかに多い。で、あまりボク等の関係を知らない人はボクが一方的に友人のI君をギャグ化しているだけだと思っている人もいるようだが、それは断じて違う。彼は彼でボクのことをギャグ化、ネタ化し話しているのだ。ただ、残念なことにテンションが上がった状態でI君がしゃべる言葉は以前仮説を述べさせてもらったとおり一部の人間にしか聞き取れないので、ボクのことをネタ化していることが多くの人には聞き取れていないのである。さらに最近の彼曰く「私は何が面白いことなのかについて悩みすぎて一周してしまい、むしろ駄洒落ってのが一番面白いのではないか」とわけのわからないことを言い出し、上司の駄洒落に困惑させられる部下の如く、ボクを困惑させる昭和な駄洒落を連発しているため、確かに彼がボクのことを話す頻度は前よりも減っていることも事実である。話がそれた。確かにボクがI君をネタにしてしゃべる回数とI君がボクをネタにしてしゃべる回数を比べたらボクがI君をネタにする方が多いであろう。しかし、ボクはこれに対しては別段問題があるとは思えない。「笑い」において結果の平等、つまりボクがI君の話をしたのと同数までI君がボクのことをネタ化するまでボクが沈黙せねばならないとするなら、それはトータルとしての笑いの総量を減らしてしまう。これはボクの方がI君より面白いからという理由ではなく、彼に比べて明らかに普通なボクについての話をするポイントが少ないからである。つまりボクについての話題を増やそうとすると、ねた化できる話題がないわけでもないが、それ以外は普通の30手前のおっさん行政書士の話にしかならないため、面白くもなんともないからである。また、お互いに相手をネタにしあう権利がある場合、その権利を行使するかどうかはその人の自由なのでその点からもどちらが多いとか少ないとかは問題とはいえない。ではどちらか一方のみが相手をネタにできて、そのネタにされているもう一方が相手をネタにする権利行使を禁止されたらどうだろうか。そんなものは笑いでもなんでもない。単なるいじめである。そしてそんなことが行われたとして面白いといえるだろうか。もちろん面白いわけがない。ボクは笑いにおける「面白い」について重要なのは主観ではなく客観だと考えている。つまり、「笑い」というのはしゃべっている本人(主観)が面白いと思っても、それを聞いている人々(客観)が面白いと思っていなければ、それは面白くないのである。極端な話、自分では全然面白いとも思えない話であったとしてもそれを聞いている人が爆笑していればその話は「面白い」話なのだ。一方のみが相手をネタにできて、もう一方がネタにすることを禁止されている場合、上記のようにしゃべっている本人のみが面白いと思い込んでいるだけという状態になりやすい。いじめをしていて楽しいと考えているのはたぶんそのいじめを行っている人だけであり、それ以外はだれもおもしろいと思っていない。では、ネタにされると嫌なことがあったとして、それを事前に相手に聞いてもらっておくというのはどうだろうか。これにも無理がある。なぜなら、ネタにされて嫌なことというのはそのときの状況や雰囲気などのによって変わるわけで、しかも笑い話というのはその瞬間瞬間のタイミングが一番重要なことであるからだ。わかりやすく言うと、もし自分がネタ化されるのが嫌ならば、自分も相手をネタ化してはいけないわけで(でないと結局自分は言うけど人は言ってはいけないということになってしまう)、そうなると、会話が行われている最中に毎回いったん話を止めて同意を得てからしゃべらないといけなくなる。なぜなら前はよかったけど今は嫌だというネタも人にはあるわけで、それは本人にしかわからないことであるため、毎回毎回お伺いを立てなければならなくなってしまうのだ。こんなことをするとタイミングを見失ってしまう。ネタになる数が少ないのなら事前打ち合わせも不可能ではないが、そもそも笑いというのは使い古されたものを何度も使うのではなく(そんなことしたら飽きる)、その場その場で発生したアイデアを組み合わせて表現することによって生まれるものであるため、やはり事前打ち合わせには無理がある。というか、事前打ち合わせができるような範囲の会話などは面白いとはいえないと思う。となると、自分が他人をネタにする場合には必然的に自分がネタになってそれが実際には自分は嫌だったとしても耐えなければならない、ということになる。もし耐えるのが嫌なら、自分がその他人をネタ化するというゲーム場から退出し、ゲームに参加しない観客になるしかないのだ。観客は自分がネタ化されることもない代わりに、勝手にゲーム場に乱入することも許されない。もちろん観客も自分で自分をネタにするのは自由なのだから、その方面で頑張ることになる。別にそれはそれで一ジャンルとしてあるわけなんだから、そういうことがやりたいのであれば、皆に自分をネタにすることを禁止する代わりに自分も皆をネタにしないと宣言しておけばよい。サッカーで、一方のみが攻めてもう一方は攻めてはならないというルールでゲームが成立するだろうか。そんなの面白くもなんともない。もちろん、本気で嫌がっているようなことをネタにすると、周りとしても笑いが発生しない場合(端的に言えば皆が引く)があり、そんなときには次の機会からは受けないのでネタとして自然に使用されなくなっていくという現象が起こるため、それほど気にする必要もないのだが、そのネタ化された瞬間にその話を封ずるというようなことは絶対に行ってはならない。なお、このネタ化というのはあくまで知り合い同士でのみ成立するものであり、全然知らない人に対しては当てはまらない。また、ネタでもなんでもない単なる秘密の暴露は、笑いとは関係のないことなので、当然そんなことをしゃべっていいわけがないのももちろんである。

— posted by ボク at 05:34 am  

友人のI君化するママン

先日、実家のネット回線を光化するためのパソコンの設定をボクがしてあげていたのだが、プロバイダのパスワードを書いた紙が行方不明。この紙が実家に届いた時、ボクはなんとなくママンがなくすんではないかという不安を抱いていたため、その紙をコピーして保存しておくように指示しておいた。で、まあ一枚が行方不明でももう一枚をみればいいってことで、外出していたママンに電話してパスワードがかかれた紙がどこにあるのか聞いた。ボク「パスワードを書いた紙をコピーするように言ってたけど、あの紙どこ?」ママン「ええと、確かコピーした後、原本の紙と一緒のところに入れておいたボク「意味ねえじゃん!その一緒に入れている場所がわからんのだから!」例えば、スペアキーを作る場合、普段使っている鍵をなくしても大丈夫なようにスペアキーは別の場所に保存しておく。しかしママンは、スペアキーを元々の鍵と一緒のキーホルダーにつけてキーホルダーごとなくしてしまうのと同じようなことをやらかしていたのだった。さらに、ママン「いや、あの時ボクに聞いたら一緒のところにおいとけばいいと言っていたような気がするから一緒において置いた」とのたまった。この「言っていたような気がするから」という言い回し、友人のI君とのそこはかとない類似性を感じずにはおられない。なお、もちろんではあるが、わざわざコピーせよとまで指示しているボクがそんなこというわけない。いやもし万が一そのときたまたま友人のI君の生霊がボクに乗り移ってそんな発言をしていたとしても、その行為は完全に意味がないと自身で判断して欲しい。大丈夫か、ボクの家族。そしてボク。


— posted by ボク at 10:52 am   commentComment [1] 

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