托鉢について

仏教に托鉢Wなる行為がある。四国ではお遍路さんで托鉢をしている人が結構いる。ボクは前々からあの托鉢という行為がなんともうそ臭いというか、詐欺的に思えていた。つまり、托鉢を受ける側が文字通り生きていくための方便として、坊さんに食べ物などをあげたら功徳が積まれると騙しているんちゃうんかと。そしてその割に托鉢をしている人の方が食べ物やお金をあげる人より偉そうにしているのはおかしいんちゃうんかと。またこれとは別に親戚などが死んだ時に行う法事・墓参りについても疑問を抱いていた。というかまあ今も抱いている。なぜなら、死者は文字通りすでに死んでいるため、どれだけお経などを唱えようが墓をきれいにしようが、それを認識する主体(死者)の機能が消滅してしまっているため、やろうがやるまいが死んだ人は関係がないのだ。逆に言えば、死者がお経を認識するのであればそれはそもそもまだ死んでない。常識的に考えて人はいつかは死ぬのはわかりきっているのだし、特に自分より年上の人が自分より先に死ぬ可能性は高いのだから(まあ将来的に不老不死ができないとも限らないが、まあそう簡単にはその技術は成立しないでしょ)、自分より年上の人にはその人が生きている内にいろいろしてやらないと意味がないのではないか、と考えていた。こんな話をするとよくボクのママンは(ママンはよく墓参りをする)あれは自分が楽になるためにするのだ、ということを言う。まあ確かにそれはそうだろう。ボクの考えでも、墓参りなどは死んだ人にもうちょっと何かしてあげたかったという人が、その死者が生きている間ではできなかったことの代償行為として、その死者のために何かしてあげた気分を味わうためにやっているのだと思う。つまりあれはまさに墓参りする人が自分の気を楽にするためにやっている行為である。ボクの場合は死者に認識能力があるとは到底思えないので、ボクが親戚の墓参りなどをしてもなんらボクの気が楽になることはない。むしろこれは完璧に自分の気を楽にしようとするだけの行為ではないかと考えてしまい嫌な気分になるだけである。で、話はまたまた托鉢に戻るが、托鉢を行っている坊さんの姿を見て、ふとママンが墓参りについて言っていた「あれは自分が楽になるためにするのだ」という言葉と、托鉢で物をもらう方が偉そうにする態度が結びついた。それはつまり、托鉢とは物をあげる方が自分の気を楽にするためにしているのだと。そして托鉢を受けるほうはそれに感謝も表さないことによって托鉢で物をあげる方の気をより楽にしてあげているのだと。古来より人間社会は財産や行為を他者からもらった場合、それに対する対価を支払うことが当たり前となっている。社会心理学でいうなら返報性の原理だ。そして、何か相手からしてもらったりしたのにそれに対してお返しをしないとなんとも心苦しくなる。ようするに自分だけが得している(プラス状態になってしまう)というのは罪悪感を感じる事なのだ。このお返しには様々なやり方、例えば物を買った時にはお金を払うのが常識であったり、物をもらったら物でお返ししたりするのだが、感謝を表明する「ありがとう」というのもお返しの一つである。つまり、なんら貸し借りのない関係の間において、あげる側からすると物をあげることによって発生する自身のマイナス効果は相手の感謝というプラス効果である程度は相殺されるし、もらう側は逆に物をもらったことによるプラス効果は相手に感謝するという行為である程度相殺され、元の安定した状態にある程度戻るのだ。物をもらう方にとっては感謝の言葉さえいえないのはその心苦しさという点ではかなりの罪悪感を感じる行為である。で、托鉢に話を戻すと、托鉢している人に物をあげるほうはなんらかの心理的なプラス意識を持っている状態である何らかの罪(これは犯罪を示すのではなく、日々生きていたら他の生き物を食べることにより犠牲にして自分が得をし回りを損させて生きていかなければならないことであったり、もうその他いろいろ)の意識と贖罪を行いたいという意識があり、その得している感を減らすために何かいい事とされていることをしたい状態にあるといえる。このいい事のなかの一つに托鉢している人に物をあげることがあり、この行為によっていい事した感がマイナス効果として発生する事によって結局プラスマイナス0にすることができるのだが、このときに相手から感謝されるとその感謝というお礼を受けた分だけ、自分のマイナス効果が相殺されてしまう。このために托鉢を受けたほうとしては物をもらって心苦しいからプラスマイナス0にするためにせめてお礼でもしたいんだけど、その托鉢で物をくれた人の為にお礼を言わないのだ。こう考えると、托鉢とは、もらいっぱなしによる心苦しさをお礼をあえてしないことによって減らすことなく保持し続ける行為といえ、ある種の苦しみをともなった行為ともいえるんじゃないだろうか。確かにこの心苦しさのことを考えると精神的な修行を積んでいない限り心苦しさで押しつぶされそうになるだろう。なんせもらいっぱなしによる罪悪感をひたすら溜め込まないといけないんだから。で、この結論からするとやっぱり悪徳宗教とかが寄付したら天国にいけるとかいって寄付させまくるのは本筋から離れてると思うんだよね。それは天国にいけるというプラス効果を寄付する側に与えてしまい、結局心の罪悪感が解消されない。

— posted by ボク at 12:56 pm  

車庫証明シールのはがし方

普通車を買うと車庫証明を取って車に車庫証明のステッカーを貼らないといけないのは自動車を持っている人だったら皆知っていると思う。なお、軽自動車の場合は、「保管場所届出」であり、この届出をしなければならない地域は限られているんだけど、徳島市はがっつり届出をしないといけないのだ!あのシールの正式名称は「保管場所標章」というイカす名前なんだが、せっかく手続きをしてこれを貼っていても駐車場の変更とかした時には手続きをしてまたこのシールをゲットした後、すでに貼ってあるシールを剥がしてから、新しいのを貼りなおさないといけない。ここで注意すべきは、「保管場所標章」は多分悪用防止のためだろう、きれいに剥がそうと頑張ってもきれいには剥がれないようになっている、つまり再利用できないようになっているのだ(多分)。にもかかわらず新しいのを貼るためには前に貼ってあるのをきれいに取り除く必要がある。そのやり方をここに記す。なお、ボクの車の後ろのガラスはスモークみたいな感じになっていてしかも熱線が張り巡らされているので、内側に貼ると「保管場所標章」が見えにくいから外側に貼っていた。へてから、黄色の部分は番号が入っていたので写真では合成して黄色で見えなくしてるけど、実際にはもちろん、黄色で隠してなんかおりません。1外側の透明シールの部分をはがすのは爪で頑張ってみる。時計で言えば2時のあたりに少し剥がれているところが見えると思う。これは爪で頑張ってみた。


2爪ではがした部分を引っ張って剥がす。こんな感じになる。この外側の透明シールは結構きれいに剥がれるのだ。しかし本来の敵はこの下の本体部分である。


3標章本来の部分をある程度爪で頑張ってはがすこれはわざとそういう作りにしていると思われるのだが、透明シールのようにきれいには剥がれず、紙の部分が汚く残る。


4ベンジンをかけて剥がれやすくするこの部分はある程度ふやかしながらでないときれいには剥がれないと思う。実際にはこの段階ではベンジンではなく水でもかまわないかもしれないが、粘着部分をきれいに取ってしまうためにもボクはベンジンを含ませた布でふやかしつつ、爪でこすりとった。5全部剥がしたらべたべたする粘着部分をきれいに除去するために再度ベンジンを含ませた布で拭くベンジンで拭くと跡形もなくなくなった。


6水をかけて布で拭く再度同じ位置に標章を貼るためにガラスの部分を水で洗って布で拭いてみた。ここまですれば汚れはなくなっているので、後は標章を貼るだけである。で、この作業をやっていて思ったのだが、引越しをする予定がある人は、標章は内側からではなく外側から張って置いた方が取る時に便利なんじゃないかと思った。あれは透明シールをちゃんと貼っておきさえすれば早々はがれるもんじゃないし最悪剥がれてしまっても再交付でどうにかなるわけだけど、内側に貼っている場合は水でじゃばじゃば洗うわけにもいかず困るだろうし。なお、警察に聞いてみると、前の上に貼り付けるのはダメで、前のを剥がしてから貼らなければならないとのこと。ボクは何度か車庫証明を取ったことがあるが、初めて取る時しかやったことがなかったし、標章自体はボクが貼るわけじゃないから、現在貼ってある標章をどうするかは今の今まで知らなかった。で、やっぱり法律上の根拠を知りたいので「自動車の保管場所の確保等に関する法律」を読んでみたら確かに前のを剥がしてから新しいのを貼らなければいけないと書いてある。ふーん、ちゅうか、へーって感じでした。

— posted by ボク at 08:52 pm  

 

のどが痛い

大阪はやはり徳島よりも空気が悪かったのか在阪中ずっとのどが痛かったのだが、それがまだ治らずついにタンまで出てくる始末。大都会おそろしや・・・

— posted by ボク at 08:40 am  

中西裕一君にインタビューをしろと要求される

後輩で格闘家の中西裕一君からメールがあり、そろそろブログに載せろとの要求が来た。しかもインタビュー形式にしろとのこと。インタビューとはインタビュアーが申し込むものであり、インタビューを受ける側の人間がインタビューしろとはまさに前代未聞である。さらにボクは彼の私生活を知り尽くしているため、別段聞くべきことがない。そこでいっそのこと、このブログで彼に対してボクに聞いて欲しいものを募集する。なんか聴きたいことがある人はこのコメント欄に書いてちょ。

— posted by ボク at 11:19 am  

大阪行きバスにて。

26日から27日にかけて妻と二人で大阪に遊びに行った。まず、26日の朝から高速バスに乗り出発したのだが、このバスは淡路島で一度小休止を取る。まあ、トイレ休憩みたいなもんだ。運転手は10分ほど休憩してから出発します、と発言していたので、ボクは腕時計のカウントダウンタイマーを10分にセットし、先ほどからボクの体内で暴れまわっている大腸菌どもをきれいさっぱり消去するためにトイレに駆け込んだ。途中、トイレットペーパーを使い切るも、予備の紙を発見し、それらを極流れ作業的にセッチングしているとタイマーは残り3分をさしていた。しかし、カリスマを得るためにはまずあわてないことが必要と心に誓っているボクは丹念にペーパーの状況を確認しつつ完璧にふき取った時点では2分15秒。その後、さらに入念に手を洗っていると、妻がボクを呼ぶ声が聞こえる。事件か!?妻「もうバスが出たよ!」そういってまた妻はバスに駆け戻った。なにー!なんと、バスはボクをさくっとトイレに残したまま出発してしまったらしいのだが、明らかにボクが乗ってないことに気づいた妻が運転手に、ボクの不在を告げバスがストップしたらしいのだ。しかし、10分休憩といったのに残り1分30秒も残して出発されては困る。1分30秒もあればぎりぎりカップラーメンがふやけて食べられる頃であり、タイマーまでセットしたボクの立場はどうなるんだ。そんな怒りを心に抱きつつ、ボクは運転手や他の客に愛想笑いを浮かべながら「いやいや、すいません」とかいってバスに乗り込んだ。妻によると、どう考えても隣に座っていたはずのボクがバスに乗っていないため、どこか違う席で気配をけしているのではないかと考えたらしいのだが、やっぱりどう考えても乗ってない、との結論に達したためバスの運転手にボクの不在を告げたらしい。ボク「バスに乗ってるかどうかぐらいすぐわかるやろ」妻「あんたは時々変な修行みたいなのをしているから気配とか消していてもおかしくないと思って」そんなこんなでバスは出発したのである。

— posted by ボク at 11:20 pm  

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