眼鏡落下

ベランダで布団を干そうとして布団をベランダの手すりにかけるときに眼鏡が布団に引っかかりそのまま下まで落ちてしまった。しかも落下地点はこのマンションの倉庫の屋根。実際地上まで落ちてしまったら眼鏡は割れていただろうから、不幸中の幸いともいえなくもないが、問題はその倉庫が一階の住人の部屋の高さと同じぐらいのところにあるということである。つまり、ボクが眼鏡を取ろうとして倉庫の屋根に上る→一階の住民と目が合う→住民勘違い→一階住民、電話を手にする→110番→「ええと、今泥棒と目が合ってるんですけど」→住民ベランダの窓をあけてボクに向かって笑顔で一言「通報しますた」→住民静かに窓を閉める→ボク、住民に向かい深々と黙礼。これだけは避けなければならない。そこでボクはとりあえずは近所の住民に聞こえそうなぐらいの声量で「あ、眼鏡が一階の倉庫の屋根に落ちてしまった。取りに行かないと」と、ボクがあくまで一階に侵入しようとして倉庫に登ってるんじゃなくて、落下した眼鏡を取りに行こうとしていることをアピール。この保険をかけてから、さらに念押しの為、倉庫に登る前に一階の住民、つまりボクの真下に住む住民に眼鏡をとりに行ってるだけで、ボクは決して下着ドロではないことを説明することにし、一階に下りていくと、その部屋はブラインドもカーテンもしておらず、ベランダ窓からはさんさんと朝日がさしこみ生活感もなく、というか家具も何もなく・・・住んでないじゃないか!なんのことはない、空き部屋だったわけで。無事眼鏡の回収も完了し、今これを書いているわけです。

— posted by ボク at 09:10 am  

何が楽しいってそりゃ図書館に行くこと

ボクはあらゆる娯楽の中で一番好きなのが読書である。読書のみか、読書以外のすべての娯楽、どちらか選べと言われたら当然読書を選ぶ。それぐらい娯楽の中でのベストは読書である。そんなボクは当然の帰結として図書館に行くのが大好きである。ちょっと時間があったらボクは図書館に行っている。徳島県立図書館の場合、一度に借りられるのは10冊で22日間。多くの人は多分、本をまとめて借りても返すのは一度にまとめてだろうが、ボクは22日間の中で何度も図書館に行き一部のみ返却してその返却数だけ新たに別の本を借りることを繰り返しているため、10冊手元に図書館の本がある場合でも大抵は本によって返却日が違う。ボクが返却すると図書館の職員はボクが一部しか返さないので多分ボクが返却し忘れていると思っているのかいつも後残り何冊借りていますといわれるのだが、ボクはこれまで一度も返却し忘れたことがない。車のカード入れに返却日が書かれた紙を挿しているからである。それぐらい図書館に行くボクとしては、夕張市が財政再建団体になるとなったときに市の図書館が廃止されると聞いて衝撃を受けた。別に図書館ぐらいなくなってもいいじゃないか、というような人もいたが、ボクなら即座に引っ越す。ほんと財政再建団体ぐらい恐ろしいものはないですな。

— posted by ボク at 04:28 pm  

 

記憶術

最近記憶術の練習をしている。記憶術の本はいろんな人が出しているのだが、それらを何冊か読んでみたところ共通するテクニックは大乗仏教の密教の瞑想などで行われるイメージを使ったやり方に似ているようだ。ボクが知る限りでは坊さんというのは記憶力がいい人が多いのだが、このようなところに秘密があるのかもしれない。

— posted by ボク at 08:27 am  

知事といい監督といい

サッカーの監督が決まった時、まだ日本代表の監督としては何もしていない時点でむちゃくちゃその人に関連する本が売れまくりフィーバーが起こった。九州で元芸能人が知事になった時点でほとんどまだ何もしていないのに、異常なほどのフィーバーが起こった。結果に対して大騒ぎならわかるのだが、まだほとんど何もしてないのに大騒ぎっておかしいよね。多分同じようなことを考えている人は多いと思う。ええかげんテレビに映る時間が長いとその人が何かすごいことをしたと考えるのはやめよう。

— posted by ボク at 08:05 am  

「逃げる」について

「逃げる」という行為がある。いろんな局面でこの「逃げる」ことが行われている。それは例えば暴漢から「逃げる」だったり、債権者から「逃げる」ことだったり、仕事をほっぽりだして「逃げる」だったりする。この「逃げる」行為は多くの場合、非難される。暴漢から逃げるのは当たり前のことなのだが、ボクとかだと立ち向かわずに逃げたと非難されないとも限らない。さて、なぜ逃げると非難されるかを考察してみるに、逃げるという行為はその人に期待されている義務の放棄にあたり、その人が行うべき義務が行われないことによって損をする・または経済的損失はなくとも心理的損失が起こる人が存在するからである。また、直接の利害関係者ではない者が逃げた人を非難するのは、今は利害関係がなくとも将来的には利害関係者となる可能性があるためであり、さらに全く関係が起こりえないような立場の人も、逃げるという行為自体が社会的に許容されると回りまわって結局自分の利害関係者が「逃げる」可能性を高めてしまうために、自分とは全然関係がない逃げた人を非難するのである。結局のところ、突き詰めると逃げる人を非難するのは自分が損したくないからなのである。こう考えると、結局は非難する人の保身から「逃げる」行為は非難されているのであるが、あまりにもこの「逃げることは非難される行為」ということが当たり前のこととされているため、なぜ人は「逃げるという行為」を非難するようになったのかということが意識に上らなくなってしまっている人がいる。こういう人は往々にして「逃げたら負け」「我慢は美徳」とばかりに、自分の許容範囲を超えているにもかかわらず、自分にとって「逃げたくなるような状況」をなんら策を講じることなくそのまま受け止めてしまいがちだ。もちろんある程度の我慢は自分の精神力が向上するので有益な場合もあるが、度を越すと無益どころか有害である。上記のような「逃げたら負け」を信念としている人は、もしかしたらそもそも自分の我慢がどの程度で自分にとって有害になるか自体をわかっていないからなのかもしれないし、そのような場合は家族とか友人がそれについて指摘してあげるべきだが(というかそんな状況になっている友人を放置しておくヤツはそもそもボクの定義する友人ではない)、自分でその我慢がすでに有害なレベルにまで達しているのに我慢しようとする人もいる。ボクはこれは無意味だと思う。なぜなら逃げる行為を非難する人の根本理由が(避難者は自分では気づいていないのかもしれないが)自己保身であるのとどうように、多くの人が逃げるをあまり選択しないのは、逃げる人と思われたら自分に対する評判が下がるのでその後の人生でマイナスになる可能性があるからである。ここは重要なポイントで、人が「逃げない」を選択するのはあくまでその選択後の人生を考慮している(もしくはするべき)からであるにもかかわらず、「逃げない」をまるで信念のように考えている人、つまり「逃げないこと」自体を目的化している人はこの考慮を行わない。言い換えれば人生の優先順位をわかっていない。このように選択肢後の人生を考慮しない人が言いがちなのが「死んでもやらないといけないことがある」とか、「価値観の違い」とかそんなことである。しかし、よく考えて欲しい。全くないとはいわないが、死んでもやらないといけないことってそんなに転がっているのだろうか。価値観の違いも何も、自分が死んでしまえばこの世界自体を認識できなくなるわけで、自分にとっては自分の死は世界の消滅とイコールである。もちろん自分以外の人には世界は存続するわけだけれども、自分にとっては死とともに自分のもっている価値観自体も消滅するのである。自分が死んでもやり遂げたことによって後に生きている人はよかっただろうなあと想像できるのはあくまでやり遂げた人が生きている間だけ考えられることであり、死んでしまったらそもそもそんなこと自体を考える認識作用が自分からなくなるのだ。物事を認識するには自分が生きていることが最低条件であり、認識できなければそれは自分にとって存在しないのと同様である以上、自己の死は自分の価値観の消滅と等しい。まあ死ぬとか死なないとかは極端な話だから当てはまらなくても、もし選択肢が逃げるか逃げないかの2つしかどう考えても存在しない場合には(本当は選択肢が2つしかない状況などほとんどありえないのだが)、「逃げた」場合と「逃げない」場合のその後を比較し、逃げた方が得である場合はやっぱり逃げた方がいいとボクは思うのだ。自分の身体とか精神への大きなダメージが起こる可能性がかなり高いにもかかわらずそれでもしなければならないことなんて実はそんなに多くない。自分が逃げると他の人に迷惑がかかるからとかもよく言われる理由だが、例えば耐えて耐えて過労で死んでしまったり病気になってしまった方が大抵の場合、他の人にかける迷惑度は大きい。さらに言えば、優先すべきは同僚とかそういうレベルの他人よりは自分の「家族」とか「友人」とかではないだろうか。「家族」や「友人」はいわゆる「他人」よりも自分を心配してくれるはずで、自分が病気等になったらかなりの迷惑をかけるはずである。このことをよく考えるべきだ。で、勘違いして欲しくないのだが、ボクは安易に逃げることを勧めているわけではないということだ。上記のように世間的には逃げるという行為は自分の評価を下げてしまう行為なので、逃げずに他の手段があるのならそちらを選択した方が良いし、ほとんどの局面で実際そういう選択肢は存在する。例えば、借金でにっちもさっちもいかない場合に夜逃げするかどうか迷っているような人。まあ借りている先にもよるけれどもほとんどは自己破産するべきで、夜逃げしたところで借金がチャラになるわけではないのであまり意味はない。逃げないという信念を持っている人の本当の問題点は選択肢が本当は他にもあるにもかかわらず「逃げる」か「逃げないか」の二者択一しかないという勘違いに陥っていることであるともいえる。ボクの友人には何人も、仕事があまりにも非人間的レベルとも表現できるような過酷さであったために失踪した人達がいる。仕事を途中でほっぽりだすなんてと非難する人もいるだろうが、ボクの感覚からするとあのような労働状況で我慢し続ければ下手すりゃ過労死、そこまでいかなくても身体を壊すのは目に見えているので、そのまま我慢し続けるよりは失踪して一時期休むなり辞めるなりしてよかったと思う。ただ、失踪は我慢するよりはベターであったが、それがベストであったかは疑問が残る。例えば、結果として失踪後辞めるなら失踪なんてしないで普通に辞めればいい。また、失踪するにしても理由不明で失踪するとなんかの事件に巻き込まれたのかなどと家族は心配するので、理由と帰宅予定日などを告げといた方が良いとは思う(これだと失踪にならないと思うかもしれないが、そもそも心配させることが目的じゃないので家族には言っておくのは別に問題ないんじゃねえの?って気がしてならない)。なお、死後も認識作用(魂的なもの)が人間には残ると考える人にとっては「しんでもやらなければならないこと」のために我慢し続けて、実際に死んでしまっても死後に続きがあるのだからこの話は該当しない。ボクはものすごい高いそりゃもう異常なぐらいの高い確率で魂はないと考えている。時々魂はある、と主張する人に遭遇することもあるのだが、その内容について質問していくとどうもあまりにもそりゃ都合がいいなあというか、あんた死んだことないのにわかるわけないじゃん、と言いたくなることが多々ある。例えば死後に魂があるとして、生前認知症だった人の魂の認識能力はどうなってるの?とか、胎児はいつの時点(細胞分裂初期なのか、それとも母体から出てきてからなのか等)で魂をもってどれぐらいの認識能力があるのか?質問すると認知症になる前の一番元気だった時とか胎児も大人になったと考えて、とかなんとも都合よすぎるでしょそれは、としか言いようがないものが多い。あれはどうにかならんかね。話がそれたが、結局ボクが言いたいのは、我慢することのメリットとデメリットを比較考慮して、我慢しつづけることがによる損害が大きいなら我慢しなくて済む方法を考える方が得だし、もしどう考えても他に手段はないがこのまま我慢するだけでは大ダメージってな場合は逃げるのも選択肢の一つとして残しとくべきってことです。もちろん、逃げたら非難されることもあるよ、でも死ぬよりはまし。

— posted by ボク at 12:30 am  

T: Y: ALL: Online:
ThemeSwitch
  • Basic
Created in 0.0206 sec.
prev
2007.4
next
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30          
 








リンク集
日帰りアウトドア
もっと徳島を知ろう
食欲を抑えるダイエット
FP3級の用語と計算方法
宅建試験過去問の合格暗記
日商簿記試験の合格暗記
末広茶道教室
金剛禅総本山少林寺徳島渭東道院