良いことをしたらもっとオープンにした方がよい

ボクはいわゆる「良いこと」をしたら、「ボクはこういうよいことをした」とかなりオープンに話す。当然仕事上のことはボクが金儲けでやっていることなのでどれだけ感謝されてもボクの感覚では「よいこと」の範疇には入らないため、仕事以外で行った善行についての話である。しかし、日本では良いことをしても隠しておいた方がより正しい、という風潮、もっといえば善行を行ったことを自分でしゃべると非難を受けることさえある。てか、ほとんどの場合、ボクは非難を受ける。これは日本古来から脈々と受け継がれる、超自然的な存在(例えば神・仏)が善行を見ているので他者にそれを報告せずとも死後にその報酬を受けられるという考え方と、善行を行うことを他者に報告するのはその善行を行った人が自分の評価を上げるための利己的な行為であるのでつぶしておけ、みたいな考え方などに起源を発するのだろう。んでだ、ボクは非難を受けることを承知で、それでもやはり自分の行った善行は人にしゃべるのだ。はっきり言って日本で自分が行った善行をしゃべるのは上記のように非難さえ受けてしまうところからして、自分にとってはマイナスの方が大きいのだから、ボクは自分の評価を上げるためにこの行為を行っているわけではない。なにせ、日本においては善行をしゃべることは評価を下げるからだ。ではなぜ、こんなことを非難承知で続けているかといえば、ボクみたいな人間でも善行を行っていることを知らせることによって、それを聞いた人を感化し、自分も良いことをしてみるかと思わせるためにしているのである。日本でも隠れて善行を行っている人はいるのだろうが、それが公にされないため、実際にどれぐらいの割合でされているかは基本的にわからない。ここがまさに問題であり、公にされないことによって、人によっては誰も善行などを行っていないので自分もそんなことをする必要などない、自分だけしたら損である、とまで考えてしまう人が実際にいるのだ(逆に他人のためだけに生きている人もいるのだが、それはそれで豪快に間違っていると思う。やっぱり一番は自分です)。社会の仕組みにおいて、完全に善行がなくても成立する社会、つまり善行でまかなわれた方がトータルとしてよい部分もすべて行政や企業などがサービスを提供する社会にしてしまうなら、それに対して国民・消費者が支払う対価というのは半端ないものになってしまい結局自分の首をしめる。もちろん、厳然と行政・企業が担った方がトータルとすればよいサービスというのは存在する(例えば、これまで給料が支払われていた行為がボランティア団体によって行われることがあるが、あれってそれまでそこで働いていた人の雇用を奪ってますよね、ということを感じることもよくある)けどね。

— posted by ボク at 11:00 am   commentComment [2] 

この記事に対するコメント・トラックバック [2件]

Up1. 桃太郎 — 2008/12/05@15:30:39

おお、まさしく金剛禅運動です!

Owner Comment ボク  2008/12/06@18:09:05

子供のときに通った道というのは、無意識で自分の思考に影響を与えていますね。

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