まことに不可思議なお盆という行事

阿波踊り真っ盛りの徳島であるが、この阿波踊りは徳島以外では所謂盆踊りである。で、お盆だ。お盆という行事、これは日本の某大乗仏教系(もちろん葬儀をするタイプの)の坊さんによると、普段は墓にいる魂が家に帰ってくるのでそれを迎える行事であるとのことだが、もうここからして矛盾というか意味不明なことばかりである。なお、お盆とか魂についてはいろいろな解釈を持っている人がいるので、ここに書いたことだけがお盆のすべてではないが、少なくともボクはお盆についてこういう風に説明を受けたのでボクが受けた説明についての矛盾点を書く。まず、普段は墓に魂がいるのなら、仏壇は盆以外は何もない状態、つまり魂不在である。ということは普段なぜ空っぽの仏壇に手を合わせる必要があるのか。もし魂が盆以外は墓にいるなら、盆以外は仏壇を拝むのは完璧に意味がない行為であり、そんな暇があるならお墓にいって手を合わせるべきだ。お盆以外は仏壇に手を合わせてもなんら意味がない。神道ならば、魂は分割可能みたいなので、お墓にもあるし神棚にもある、みたいなことも可能と思うのだが、「帰ってくる」ということは普段はそこには「不在」であることを意味するので、ここではこれは該当しない。次に、お盆には魂が家に帰ってくるのなら、なぜ墓参りして手を合わせるのか。まだ墓の掃除をするとかならわかる。魂不在のときでも掃除することに矛盾はない。ただ、お盆には魂が家に帰っているのなら、墓に手を合わせてもそこには不在なので、掃除をしたらとっとと実家に帰って魂がいるはずの仏壇に手を合わせるべきである。次に、これは上記に付け足し且つお盆時期以外にもあてはまることなのだが、葬式のときに聞いた話しでは、人間は49日の間に生まれ変わるとの事であった。ということは生まれ変わっているのなら、そもそも墓にも仏壇にも魂なんてないんじゃないかってことだ。ただ、魂が分割可能で一部生まれ変わって一部とどまるなんてことがあったら、矛盾はないのだが、仏教系で魂の分割が可能という話は聞いたことがない。さらに不可思議なのは仏壇などに般若心経を唱えることである。あれは直訳を読む限りでは、「全部空だから(当然のことながら魂とかないよ)何かが実として存在するのとかって全部勘違いだから」ってことを書いてあると思うのだが、なぜそれを魂とかを前提とした仏壇の前で唱えるのか。もし魂が存在すると仮定するなら、そんなことを言われたら魂としても困ってしまうんじゃないだろうか。せめて魂の前で唱えるお経ぐらいは魂存在を肯定するものにしてあげてほしい。まあ、般若心経は普通に直訳したらこういう風に書いているとしかボクには思えないんだけど、霊感がある人は違う意味を感じ取ってしまったりすることもあるみたいなので、なんともいえないところもありますが。こんなことを書いているボクは魂はものすごい高い確率、つまりほぼ100%に近い確率で存在しないじゃないかと思っているので墓参りについていくことはありますがお墓や仏壇に手を合わせません。この辺、みんなどう考えているんだろうか。

— posted by ボク at 10:56 pm  

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