暗いと賢いというのは間違っていると思うよ。

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どうも作家志望とかライター志望の人、つまりまだプロフェッショナルではない人が書く文章は私小説的にやたら個人の暗い感情につき解決方法を提示すること無しにひたすらだらだらと表現したものが多い。いちいち数えたわけじゃあないので実際にはわからんけれども、少なくともボクの周りにいる作家志望の人の文章はたいていそんな感じである。これはなぜか。彼らの言葉の端々から感じられることとしては、そのような文章を書く人たちの思考の根底には「暗い」=賢い人、「明るい」=何も悩みがない人・頭が悪い人、というイメージがあるのではなかろうかと。このため、ひたすらに自分が精神的にまいっていたりすることを表現しようとする。しかし、ボクが思うには、人間生きてきたらどんな人でも暗くなるようなことは無数にある。昔の偉い人も生=苦、といったぐらいなんだし。つまり現在明るいと思われている人達も実際は暗い体験などいっぱいしているのだ。んで、現在明るいと思われている人たちは過去の暗い状況(問題)を脱却または解決した人たちなんではないかとボクは考える。これを逆に考えれば現在暗い人たちは暗い問題を脱却できていない人、と定義できるのではなかろうか。確かに子供時代には文字通り暗くなること自体にまだ出会ってないから暗さを知らないだけということも考えられるが、20歳も超えたら1つや2つ暗い体験はあるものだ。もし悩んでいるほうが賢いと考える原因が単に暗いことがなかった子供自体よりもより多くのことを考えるようになったから賢いという論理であるなら、それこそ何を子供じみたことを言ってるんだとボクは感じる。そりゃ確かに人生経験は増えたから暗くなったんだろうが、まだそのレベルかよと。つまり(1暗くなるような人生経験自体をまだしない時代・無知ゆえに明るい)→(2初の暗い体験・暗い感情の発生)→(3暗い体験を克服して明るくなった状態・暗い感情を知った上での明るさ)っていう順序。このように定義してしまうと、暗い状況(問題)を脱却した人達=現在明るい人は問題を解決・または脱却した分だけ単に暗い人よりも人間的に成長したか、または賢いのではないかと思う。つまり暗いよりは明るいほうが良いのだ。ボクは仕事上、本当に精神的にまいってしまっている人達と会うことがある。こういう人達は前の明るさを希求している。自分が現在暗いことにつきそれを変えようとしている。以前の明るさを希求するということは、この人達は問題が起こる前は上記の3の状態であったからこそだ。こういう人達は一旦は暗い体験をしたがすでにそれについては克服している状態で明るかった人にもかかわらず、また何らかの事情で暗い体験をしてしまった人であり、以前くらい体験を克服したことがあるからこそ、また明るくなれること(つまり物事が解決すること)を知っているからこそ今回もその問題を解決しようとしているのである。この点からして、上記の2の状態でとどまっている初めて訪れたくらい現象・感情に対してその状態を維持することが賢いと勘違いしている人達とは段階が違う。もちろん今は暗いけど以前のような明るさを取り戻そうとしている人達のほうが上なのだ。そんなふうに思いますた。追記:ここでボクが書いているのは暗いのがカコイイと勘違いした人に対してであり、病気としての鬱病の人を否定しているわけじゃあないよん。病気の場合はそれは自分に責任があるわけではないから。
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— posted by ボク at 11:01 am  

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